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ウエルウェーブ通信 第2号
1999年12月10日発行
目次
総力取材!福祉機器産業研究『民間事業者訪問』
リレーコラム『施設にいきる』
'99国際福祉機器展に参加して
ドクターFの自立生活ワンポイントアドバイス
忍田幹雄さんとの出会いと思い出
総力取材!福祉機器産業研究『民間事業者訪問』 第1回 日本オートランニングシステム株式会社
今回、われわれWDRCが発足してから初めての取材となった。今回の取材は、藤沢、二宮、大石の障害者3人のみで行うため、まず日本オートランニングシステム株式会社までの移動手段の調達が必要となった。そこで、車の調達は、町田ヒューマンネットワークの移送サービスを利用した。車種は日産ロコ、トヨタのハイエースより一回り大きいものだった。
8時間運転手付、ガソリン代込で13,215円である。今回は、日野療護園を経由し、二宮、大石を乗せ、藤沢を含めた障害者3人で取材を決行した。今回の取材では福祉機器の現状と課題ということをテーマとして、藤沢がコンタクトを持っている日本オートランニング株式会社に取材協力をお願いした。Nihon−Auto−Running−System、通称NARS(ナース)と呼ばれるこの会社は1989年に設立され、初期のころは磁気誘導装置を販売していた。それは、建物の床面に磁気をはわせ、部屋から部屋への選択ボタン一つで自動的に、その上を電動車椅子が移動するシステムだった。しかし、日本経済のバブルがはじけると同時にこの会社の路線を福祉機器の代理店へと転換して、車椅子の受注、住宅改造を行うようになった。なお、社長の小玉氏は障害者で、車椅子で生活と仕事を両立されている方である。
★★ 小玉社長 一問一答 (編集:藤沢由知)★★
問 10年前の福祉機器事業を取り巻く状況はどういう感じだったのですか?
小玉社長
車椅子や福祉機器、住宅改造についていえば、10年前を振り返ってみると、当時は車椅子がほしいなと思ったら車椅子屋さんに頼んで、ベッドがほしいと思えば介護用品店に行き、住宅改造は工務店に頼み…というように、バラバラにお願いしていた。しかし、それらをトータルでやった方がおもしろいのではないか、と当時思ったのだ。ボクが車椅子の仕事をしていたとき、病院でつくった車椅子を家に持ち帰っても、使うことができないということを目の当たりに見ていた。病院のリハビリで使う車椅子の大きさ、機能は、家では使うことができない。ボクが車椅子業界に入り始めた頃…20年ほど前かな、そのころは、車椅子屋さんがユーザーの自宅へ出向いて建物の平面図をおこしてから車椅子を設計する、というようなことはしていなかった。病院から注文があれば、ただ病院の先生のいいなりに制作して納入して終わり、というものだった。だから、ユーザーの生活と車椅子とがトータルに結びついていかなかったのだ。そういうようなことを見てきたので、「だったらトータルで営業すればいいじゃないか」と思った。そういうことから、業態転換をしたときに、社員が営業する際には「トータルコーディネート」を基本として、この事業を始めた。社員数は現在、営業4名、事務3名、制作4名、それにボクを入れて総勢12名でやっている。
問 仕事はどういうところから受注するのですか?
小玉社長
ボクが昔営業で走り回っていたころ、神奈川にもさまざまな業者がいたが、意外に福祉作業所にはどこの業者も入っていなかったんだよね。今でもウチの営業マンは行っているよ。あと、行った先々で他の施設を紹介してもらったり。そういうやり方で仕事をしています。そう考えると…やっぱり、病院が多いかな?そこへいって、仕事をもらう。先ほど述べたように、ウチはトータルで営業しているから、病院と一口に言っても、医療相談室に行ったり、理学療法士のところに行ったり、ドクターに会ったり、というようなことをしている。そこで、住宅改造や車椅子の相談があると、今度は、住宅改造であれば、フローリングの張り替えや部屋のブチ抜きなどのような大がかりな工事の場合は、工務店と一緒に現地に出向く。それから図面を描き、見積もりをつくり、お客さんへ提出する。日本の場合、役所への補助金申請は本人主義なんだよね。補助を受ける本人が、役所へ申請する。しかし、本人が図面を引いて申請なんかできっこない。そのために、われわれが描いた図面を添付して申請する。申請者が高齢者である場合は、その家族は働いている場合が多く、申請手続きのため役所へ出向くこともままならない。どうしていいか、わからないんだよね。たとえば、高齢者の夫婦で子供は嫁ぎ、面倒を見てくれる者はいない。そこへだんなが倒れて、奥さんは病院に付きっきりで看病をする。快復して、家に帰らなければならないという時に、何をすべきかがわからない。そこで、現実と初めて向き合うことになる。一からはじまるわけよ。車椅子が必要だ、住宅改造をしなければならない、しかし何から手をつけていいやらわからない。そこで、病院にすべてをお願いする。で、病院から業者にお願いされると、われわれが動き出す。
問 大手メーカーはどうなのですか?
小玉社長
これからは社会全体の高齢化も進み、大手メーカーはベッド等も含め将来はレンタル方式をとるだろう。その方が価格が下がってくるし、ユーザーも利用しやすいかもしれないしね…。そういう意味では、ウチなどは多数購入できないのでレンタル方式ができず、そのため小回りの良さで勝負する。ウチの大きな特徴は「トータルに営業する」ということだ。「車椅子から住宅改造まで」というのがウチのモットー。だから、ウチの営業内容をあげると、車椅子、補装具のオーダー、福祉機器、介護用品やリハビリ用品、住宅改造などをトータルに販売する。ウチが作業場を作って車椅子の修理、改造をはじめたのは、他と同じことをやってもだめだ、ということだ。機動力を生かし、ユーザーに対し、本当に必要なものを、小さなものでも供給できるようなことをしたい。
問 一般的に、車椅子なんかは発注から納品まで半年もかかったり、修理やメンテナンスの面でも不十分な印象を持っているのですが。
小玉社長
車椅子で言えば、各メーカー間の部品の互換性がないということなんだよね。たとえば、A製作所の車椅子の部品は、B社の車椅子に取り付けることができない。C社は、今では独自で車椅子を作っているが、その前はA製作所から部品を購入していた。自前で部品を作るようになるまでは、自分が制作していることをひた隠しにしていた。自分の会社が製作をしていることが業界に知れると、「出る釘は打たれる」の通り、部品の供給を受けることができなくなる。そうすると、メンテナンスができなくなる。日本における車椅子メーカーは、ほとんどがそういう大手から部品を購入し、それを使って、自分で制作して「オリジナル」として販売している。
販売形態として、第1に、他社に外注して作らせたものに自分の会社のステッカーを貼り売り出す方法がある。第2に、フレームだけを他社に作ってもらい、組込みは自分で行い出荷する方法。第3に、ウチのように車椅子の修理や改造を主とするやり方だ。ウチがまずぶつかった問題は、適当な部品が入手できないことだった。もともと互換性のない異なるメーカーのフレームと部品をつなげたりするわけだからね。ウチは、そのあたりをいろいろと苦労しながらずっとやってきた。
「ユーザーに対し、きちんと部品の供給ができなければ販売する権利はない」というのが、ボクの主張だ。メーカーが部品を出荷するのはあたり前だ。そういう考えでこれまでやってきたが、まだまだ(メーカーに対し)弱い立場にある。ユーザーは、そんな事情はわからない。だから、ユーザーがいろいろな声をあげることで、業界にオープン性を持たせることが大切だ。例えば、部品の共通性を持たせれば、いろいろなところで同じようなサービスを受けることができるシステムを構築できる。
あなたたちはいろいろなメーカーに直接行かれて、今ボクがお話ししたことを実感していただけたらいいね。ボク自身が車椅子に乗っているので、そうしたことにはずっと不便を感じてきた。日本ほどそのあたりが遅れている国は珍しい。
問 電動車椅子の方はどうなんですか?
井上さん
電動車椅子だって、そうでしょ。D社のバッテリ−をE社に載せると、相性が悪いからバッテリーの持ちが悪い。E社のバッテリーをF社の車椅子に載せると、他の組み合わせと比較して走行時間が違ってくるね。そういうように、「相性」というものがあるんだよ、回路にしても。そういう例があったんですよ。メーカーに問い合わせると、「相性が悪い」という回答がきた。
また、「電動車椅子用のバッテリーは高価だから」という理由で一般のバッテリーを買って取り付けると、回路の基板が違うので、今まで8時間走行できたのが2時間で止まってしまう、というような事態が生じる。電動車椅子用のバッテリーと自動車用のバッテリーとを比較すると、おもしろいよ〜。電動車椅子用のバッテリーは、自動車用の倍くらいの重さがある。電極板がたくさん入っているからだ。自動車用のバッテリーは、放電しながら充電しているから、電極板が少なくても問題がない。しかし、電動車椅子用のバッテリーは、放電して、それから充電するという使い方をする。放電時間を長くさせなければならないから、電極板をたくさん入れている。そのほかに、バッテリーと電気回路との間の相性の問題もあるしね。
問 ユーザーに対してアピールしたいことはありますか?
小玉社長
補装具を使っている人たちには、国から補助を受けてはいても、「消費者」あるいは「ユーザー」としての立場を確立してほしい。ボクが今乗っている車椅子は27万円するけれども、補助を受けていた頃はこれがいくらかわからなかったモン。パンクしたときだって、業者に車椅子を持っていって、「ハイ、直りました」といわれて、もうそれで終わりね。お金が支払われたという報告もなければ、受領印を押した覚えもない。業者がお客のはんこをみ〜んなもっているんだよね、50音順に。
要するにね、障害者が自分の権利を獲得するということは大事なのだけれども、ユーザーとして、消費者としての基礎を作っていかないといけないと思う。何となく役所でもらえるから、あるいは業者だって同じだ。役所へ行けばカネをもらうことができる…。役所へ行って、「ありがとうございます」という業者は多いけれども、ユーザーに向かって「ありがとうございます」という業者は少ないよね。でも、障害者が自分で役所に申請をして現金をもらい、その現金で自分たちが業者に支払う、となれば、何かが変わるのではないかねぇ。介護保険がはじまるけれども、あれは、レンタルでも何でも、一度全額自己負担することになる。そして、利用者自己負担分の1割分が差し引かれた、残りの9割が利用者本人へ償還される。そうすると、どういうことが起こるか?いいものを安く買おうとする。そうすると、「いいものを安く提供する」というところが出てくる。反対に、「高いものをそれなりの値段で売る」というところも出てくるであろうし、「高いものは高いなりにそれを買おう」、というところも出てくる。今は、そのあたりのことが足りないと思う。
問 社長自身、車椅子で営業に出たりしていたわけですが、そういった立場から何か感じることはありますか?
小玉社長
ボクは、これまで「障害者の就労」ということを考えてきた。「働く」ということの概念があるよね。「生産性」があり、「収入」があって初めて働くことができる。ただ授産施設に頼って、月3,000円とか5,000円とかをもらって、働いているも何もないわな、ということだ。また、一方には「働けない」という現実もある。で、行き着いた議論は、「生きていること自体ひとつの就労」と考えることだった。視点を変え、自分たちのやり方を作り上げることによって、社会的に就労することはできるのではないかな、と思うんだよね。だから、誰かから仕事をもらう、ということではなく、自ら何かを作り出していく、ということが大事だ。収入になるかならないかは別として、何かのかたちで社会に還元するわけだから…。「働く」ということに対し、ボクはそういう考え方を持っている。
問 仕事をしていて最近思うことは何ですか?
小玉社長
20年前と比較して、いまはお母さんたちが子供の障害を受け入れているということですね。自分の子供が障害を持っていても、そのことを精神的に受け入れて、「我が子にはよりいい服を着せてあげたい」というのと同じ感覚で、「我が子のために、よりいい車椅子を作ってあげたい」という親が増えてきた。だから、今はハデな車椅子に子供を乗せたがるんだよね。昔は、目立たないように、という感じだったね。それは、時代の流れだよね…。24時間テレビにしてもそうなんだけど、身近に障害者を見かけるようになった、ということもあるのかなぁ。昔、障害者運動をした人たちがいて、それなりの成果を生んだのではないかな、と思う。
問 福祉機器を作り、売るということについて、どのように考えていますか?
小玉社長
モノづくりとは、作り手だけではできないということだ。必要性がなければならない。だから、必要性を持っている人たちから意見を聞く場を設け、そうした人たちとディスカッションすることによって、いいものを創っていく。ただ、研究や開発は、余裕がないとできない。いまでも、いくつか開発している。ウチの会社が独自で扱っているものはいくつかある。しかし、年間数個しか売れないのだ。
福祉機器の基本的な考え方として、会社の利益を優先させるのであれば、100人相手に100人が買ってくれるようなものを作らないといけない。しかし、100人のうち1人しか使わないようなものでも、作り続けなければならないというリスクがある。企業論理からいえば、そうしたものは作らない。しかし、やめるわけにはいかない。その1つが、大事だと思うのだ。こうしたことをもっと多くの人たちに知ってもらい、よりいいものを作って市場性をつくっていくことも大事だし、一個を作っていくことも大事だ。
たかが1,000円程度のものだが、これがないと困る人がいる。作るときはまとめて作らないと高くつくので、100個くらいまとめて作る。でも、年間に1個しか出ない。そういうものもある。そういう責任を果たすことができる会社にしたい。
それから、ユーザーともっと情報を交換したい。しかし、これは、会社がある程度軌道に乗り余裕がある状態でないとできないことだ。
また、不便さや不自由さは、パテント(特許)につながるものだ。発想というものは、誰でも自由に持つことができる。健常者だから、障害者だから、高齢者だから、というものではない。不便は便利につながる、形になれば。発想とは自由なものだから、形にできるかできないか、というものではない。形にするかしないかは、技術屋の問題だ。さらに、それが売れるか売れないかは、商売の世界の話だ。「働く」ということは、生産性を高めるだけの話ではなく、自分が困っていることを拾う。その困っていることは、みんなではないが、同じ人たちの中にあることなのかもしれない。1,000人のうちの100人が、その困難の解決によって楽になることができる。そのことをつかむ自由さは、みなさんは持っている。それを使い役立たせることは私たちにもできる。まずは、そこからかな〜と思っている。ボクも、いつもパテントが見つからないかな、一攫千金はないかなと思っている。
みんなと同じように考えていてはいけない。ハンディは、みなさんの強みだと思いますよ。転んでもただでは起きない。ですから、不自由さや不便さを、どのように利用するか、だね。
★★ 小玉社長の話に感銘★★ 大石忠相
今回の取材の中で、私がもっとも共感したことは、小玉さんが、「車椅子の部品の規格統一をしたい」といっておられたことです。現に、私自身が車椅子で海外旅行(アメリカ)をしたときに、タイヤがパンクし、ある業者に修理してもらうことになったのですが、リムとバルブの取り付けねじが合わず、結局パンクしたままの状態で数日を過ごし、とてもお尻の痛い思いをしました。そんな経験の中で、規格が統一されていたらなぁ、とつくづく思っていました。
車椅子に乗りながら、NARSという会社を経営している小玉さんの話の中に、社会参加に対する強い熱意を感じ、障害者であっても熱意と行動力があれば夢は実現すると確信しました。
★★ 車椅子・トータル福祉会社NARSを取材して★★ 二宮博之
私は、この歳になるまで障害者として恥ずかしい限りだが、普段何気なく愛用している車椅子が、どんな所でどのように造られているか全く知る機会がなかった。いや、むしろあまりに身近すぎて興味すらわかなかったと言ってもいいだろう。
だが今回初めて実際にそのような現場を取材する機会を得て、何かに目覚めたようなある種の衝撃にも似た感動を受けたことは事実である。しかもこの会社は我々と同じ障害者自身が設立し自ら経営の一線に立ち、すばらしいコンセプトのもとで不況の下で頑張っておられる姿に私は感銘を受けた。
この取材で私が最も印象に残っている言葉は、社長自らが語った次の二つの言葉が最も印象に強く残っている。
『ウチの事業内容の大きな特徴としては、「トータル」に営業をする、ということだ。「車椅子から住宅改造まで」、というのがウチのモットーだ。だから、ウチの事業内容を挙げると、車椅子、補装具のオーダー、福祉機器、介護用品やリハビリ用品、住宅改造などをトータルに販売している。』
『ボクは、これまで「障害者の就労」ということを考えてきた。「働く」ということの概念があるよね。「生産性」があり、「収入」があって初めて働くことができる。ただ授産施設に頼って、3000円か5000円かをもらって、働いているもなにもないわな、ということだ。また、一方には「働けない」という現実もある。で、行き着いた議論は、「生きていくこと自体がひとつの就労」と考えることだった。視点を変え、自分たちのやり方を作り上げることによって社会的に就労することはできるのではないかな、と思うんだよね。だから、誰かから仕事をもらう、ということではなく、自ら何かを作り出していく、ということが大事だ。収入になるかならないかは別として、何かの形で社会に還元するわけだから…。「働く」ということに対し、ボクはそういう考え方を持っている。だから、もっと受注が増えて売り上げも大きくなれば、障害者の働く場づくりを進めることができる。いま、障害者の従業員は…ボクを別にして、2人いる。もっと、一緒に働く仲間が増えてくればいいな、と思っている。』
この二つの言葉は、まさしく我々が'福祉開発研究センター'を設立した当初の理念ともピッタリ合致し、これから我々がめざす方向性を暗示しているように私には思えるのです。 この二つの言葉の他にも、わずか一時間ぐらいの取材であったが、実に中身の濃い充実した話の内容でとても有意義なひとときでした。
最後に、何も判らない得体の知れない団体の我々の初取材に快く応じてくださり、結構核心をつく裏話的なことまで話してくださった、社長はじめNARSの社員のみなさまに心からのお礼を言って、短いが私の感想とさせていただきます。
★★ 取材を終えて ★★ 藤沢由知
WDRC初の取材ではNARSさんの作業場におじゃまし、作業台を囲んで行われました。昨夜からの歯の痛みで社長は歯医者にいっており、実際にインタビューが始まったのは予定よりも1時間半遅れとなりました。取材に応えてくださったのはエンジニアの井上さんと、代表取締役の小玉さんのお二人で、前もって用意した質問用紙を元にいろいろと話をしてくださいました。その取材の中で強調していらしたのは、閉鎖的な車椅子業界におけるNARSのこれからの役割、そしてユーザーに対しては自ら利用するものは積極的に関心を持ってほしいということでした。それはWDRCの理念と重なります。また「働く」という理念についても同様です。歯の痛みに顔を歪ませながらも終始和やかに、時には熱っぽく話をしていただき、感謝します。今後もよろしくお願いいたします。
リレーコラム『施設に生きる』 第2回 日野療護園 吉原日出海
私の施設生活の始まりは31年前1968年の秋でした。府中療育センターが開所した年です。当時、療育センターは施設と病院が総合した施設で、その中の生活は病院とほぼ変わらない生活形式でした。
介助はもちろん異性介助で、起床から就寝まですべて時間できめられていて、その中でどうしたらプライベートな時間を作れるかをつねに考えながら生活をしていました。そう考えながら生活をしているうちに、自分なりにうまく時間を作ってしまうのです。これが、よく言われる「施設慣れ」です。この「施設慣れ」、と言う事はほんとに恐ろしいことです。一般の常識からは考えられないことが、施設だから出来てしまう。その反面、いろんな規制や規約に縛られていて、あきらめられることができるのもこわいです。しかし、なぜあきらめられるのか、なぜ施設にどっぷりはまってしまうのか。それはたぶん楽だからだと思う。たとえ施設の規制や介助面の嫌なことがあっても最低限の生活が成り立ってしまうのだ。そこで満足するか、いや、もっと普通の生活を営むかは、本人たちの意識の問題である。どっちにしろ、施設に入っている障害者の意志がはっきりしているかしていないかで、本人の生活状況が変わってしまうのである。これは、健常者にも言える事ではないだろうか?
私の、31年間の施設生活の中で感じているひとつである。
'99国際福祉機器展に参加して 藤沢由知
10月14日、WDRCは初めて団体で福祉機器展に参加した。
予定としては会場ゲート前で1時から1時半までにゲート集合ということになっていたが、東京ビッグサイトはあまりにも広く集合場所を電話で選定するのに時間がかかり、30分遅れの集合となった。
参加者は大石、吉原、二宮、藤沢とその他介助者数名、この日の目的は見て歩くということもあったが、資料とするカタログ収集がメインであった。
海外109社、国内324社の出展だった。例年使っている東4,5,6ホールに加えて、東3ホールも機器展の会場として使われていた。情報、書籍物、車椅子、リフトなどの移動機器、福祉車両、ベッド用品、入浴用品、トイレ用品、日常生活用品が4,5,6ホール。3ホールにはおむつ用品、建築住宅・施設用設備、コミュニケーション機器、公的機関・団体というように並んでいた。また、昨年の記憶にないのが、医師や看護婦が待機している救護室がコーナーとして設けられていたことだ。カタログ収集は二手に分かれて行ったが、結局東3ホールはまわることができなかった。
特に目立った機器というのは、二人乗りの電動シニアカーであったり、寝ている体勢から立ち上がる体勢まで補助をするベッドだった。来場者は相変わらず各病院や施設の専門家、障害者が多く目についたが、年々一般の高齢者が増えているような気がした。介護保険制度導入に関連してのことだろうか。ともかく、機器展が一般のイベントとして定着してきたということを、今回の展示会で感じた。これからも発展してほしいと思う。
目指せ幕張メッセ!!
ドクターFの自立生活ワンポイントアドバイス 第2回「自立を助けるとは?」
第1号の続編です。自立生活センターとは、介助者を依頼したところに紹介することが団体本来の目的業務です。私たち障害者の歴史は、健常者社会において偏見による差別から、家や施設に幼い頃から閉じこめられてきた背景があります。そのうえ人間としての教育や人間関係においても、コミュニケーションがおぼつかない人たちが施設には生活しています。それゆえに、字が読めない人やなかなかコミュニケーションがとれない人、中には金銭感覚がわからない人達もいます。
最近あったことでは、センターの人間が施設へ行き、このような利用者に対して「施設はよくないから施設から出よう」と持ちかけ、半強制的に施設から退所させたということです。施設から出た人は、経験がないため金銭管理、生活の仕方までもセンターに委ねるしかありません。なぜ、そんなにしてまで施設から在宅へ移行させたのか理由を関係者から聞いたところ、介助ローテーションや金銭をセンターが管理することで、管理費として当事者の介護料から月数万円の手数料が入ることから、このような行為を行うということでした。
これは、自立を助けるということでは全くなく、障害者をいたずらに引き回しているだけではないでしょうか。営利に努めることは当然のことだと思いますが、もっと違う形をとれないものかと思います。私もセンターを利用する一人として、このような話を聞いてしまうとどうしても不信感を持たざるをえません。そういったことを注意して、活動を続けてほしいものです。コラムでした。
忍田幹雄さんとの出会いと思い出 藤沢由知
忍田さんとの出会いは、20年以上前になります。当時私が、清瀬療護園という施設で自治会の役員を務めていたとき、忍田さんも多摩療護園の自治会の役員を務めておられました。両自治会は、施設の中で生活をしている人達の生活向上のため、パートナーとして東京都庁に出向いていき交渉をしたり、また両施設を行き来する中で交流を深めていったことを、昨日のように思い出されます。
それにともない、個人的にも私が仕事で困っていたり悩んで訪ねていくと、話を聞いてくれ励ましてもらいました。ただし、囲碁、将棋をさしているときに訪ねると、話を半分しか聞いてくれなかったことを思い出します。また、よく「自分が作ったんだ」とクッキーや果実酒などをもてなしてもらったことを思い出します。誕生日にはプレゼントと言いながらエッフェル塔の形をしたボトルに果実酒を入れて、「プレゼントだよ」と差し出してもらったボトルは、今でもしまってあります。訪ねていくと二人で「あれもしたい、これもしたい」とよく話をしていたことを思い出します。
2年前の秋頃訪ねていったとき、私の方から「NPO法人を作らないか」と話を持ちかけたところ、快く「ぜひ一緒にやろう」と賛同してくれました。それから1年半、月1回の発起人会議・打ち合わせなどを積み重ねてきました。個人的に忍田さんと話を詰めたこともありました。私としては、会を担う大きな戦力と考えていましたから、突然の死に今も呆然としています。ウエルウエーブ通信の初巻号で、最初で最後の原稿となってしまいました。2年前、「もうお互いにいい年だから生きた証を作っていこう」というその言葉が忘れられません。忍田さんの力を無にしないように、福祉開発研究センターを運営していきたいと思っています。
忍田、本当にありがとう。これからも私たちを見守ってください。
編集部より
福祉開発研究センターの設立メンバーの一人である、忍田幹雄さん(おしだみきおさん、多摩療護園在住)が、11月10日、永眠されました。ここに、謹んで、故人のご冥福をお祈りいたします。編集部
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