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ウエルウェーヴ通信 第4号

2000年9月10日発行

目次

トイレ手すり「作り」奮闘記

環境制御装置(ECS)のいろいろ

コラム ドクターFの自立生活ワンポイントアドバイス 第4回 「今」だから

みなさ〜ん、いま、WDRCは「特定非営利活動法人」の縦覧期間中で〜す!!


トイレ手すり「作り」奮闘記

 このたび、WDRCは身体障害者用トイレの手すりを開発、納入しました。文:藤沢由知 

 WDRCは、現在準備中である社会福祉法人共働学舎(湯船共働学舎)福祉ホームから身障者用トイレ手すりの相談を受けた。その手すりの受注内容は、次のようなものであった。

 @床埋め込み式固定であること
 A跳ね上げ式であること
 B手すりの水平移動がより細かな角度で回転作動すること
 C安全のため使用時に跳ね上げロックがついた物であること

 この条件をもとに福祉機器のカタログや、福祉機器販売店に出向き検索を行った。しかしながら、このような条件を満たす既存の手すりはなく、このことを共働学舎に報告したところ、新たに制作の要請が出された。

 WDRCはその設立の趣旨に、「障害者自らが使い勝手の良い福祉機器を提案し、それを形にしていくこと」を本来の目的のひとつとして掲げている。今回の手すりの依頼については、まさに我々の目的に合致した話であった。 例会の中で今回の依頼を受けるか否かについて話し合ったところ、受けることに決定した。しかし、初めてのことでもあり、戸惑いと不安は同席した全員が感じていたと思う。

 この手すりのプロデュース担当は私、藤沢となった。最初にこの依頼を聞いたのは私であり、私と共働学舎とのつながりからそういうことになった。それは、まったくゼロからの始まりであり、遙かなるイスカンダルを目指し、例えるならば、旅する宇宙戦艦ヤマトの気持ちであった。

 さて、制作にあたっては、二つの条件を満たさなければならなかった。それは、身障者用トイレとはいえ限られた空間であること、また、機構として細かな角度で固定され、強い力にも耐えられる物であることだった。
 あれこれ考えた末、想像できるものを絵に描いてみることにした。私は実際にペンを手にすることはできないため、介助者に「横に線を引いて、その横に○を描いて…」といったぐあいに指示しながら、3〜4日かけてどうにか完成した。その作業は介助者に強い忍耐力を要求し、私は私で想像しているものを言葉として伝えることの難しさに、どうしようもないじれったさを感じた。何かにつけても思うことだが、できることなら頭の中を見てもらいたいほどだった。

 こうしてできた想像図を知り合いの作業所に持ち込み、技術的なこと、強度性、コスト面でも相談をし、あらためて制作を正式に依頼した。はじめは「想像図だけでは制作する側としては難しい。ちゃんとした図面がなくっちゃね〜」と躊躇された。ここで私は、何かを形にするには図面を引く者と、その図面を形にする者とに分業されていることをあらためて知った。

 缶コーヒーを手みやげに何回か足を運んだところ、想像図と近いものを試作品として制作してもらうことになった。ここで、この文章からはずれて、私が常々思うことに、職人の皆さんは缶コーヒーが好きだ、ということだ。どこの建築現場、作業所など、どのゴミ箱にも飲み干した缶コーヒーの缶が山積みに入っている。何回か缶コーヒーとウーロン茶、オレンジジュース、炭酸物を混ぜて持っていったが、いつも缶コーヒー以外は飲んでもらえなかった。現場だから?力仕事をするから?…今後もこの観察は続けていきたいと思う。

 ここで本文に戻ることとして、試作品は数週間後できあがった想像図の希望どおり、床埋め込み式一本脚のうえ、細かな角度で回転作動するものであり、発注元である共働学舎に胸を張って公表できるものであった。共働学舎に見せに行ったところ、一発で了解を得られた。

 各階にあるトイレは手すりの高さ長さが異なっているため、本数と高さ長さの確認を行った後、正式に受注し、作業所に制作を依頼した。今回の手すりの制作過程では、作業所で制作したものをWDRCが買い取り、それを共働学舎の増築にあたる建設会社に買い取ってもらうため、建設会社に見積書、納品書、請求書、領収書を提出しなければならず、7掛け、8掛けといった、あまり使ったことのない計算形式など、とまどいながらの書類作成となった。7掛け、8掛けというのは利益の算出方法で、今回の場合で言えば、作業所から買い取った金額の一割に対し7や8を掛けた金額を、買い取った金額に上乗せした数字が販売価格となる。

 作業所に依頼してから2週間くらいで手すりができあがったと連絡を受け、手すりの梱包を含め、直ちに買い取りに行った。作業所の人と介助者で梱包し、車に積んで一路現場に。こうして、WDRC初の納品は無事終了したのだった。

 親しい友人からは「右から左に物を動かしただけじゃねぇか」と言われたりもしたが、私としては本当に、肩の荷がいっぺんにおりた気持ちと、おおきい仕事をやり遂げた爽快感を感じたのであった。しかし、何よりも、形のない物を形作るということは、本当に大変なことだと痛感した。
 ここまで、おおまかな経緯と経過を書いてきたが、この仕事を通じて細かいところでさまざまなことを学んだ。何よりも忘れられないことは、多くの人たちに助けられたことだ。特に、介助者と企画を形にしてくれた、作業所の人たちのプロとしての心意気を感じ、感謝の気持ちでいっぱいである。 また、反省すべき点も数々あるが、今回の企画を実績として、これからもこのような話があったときは、積極的に頑張りたいと思う。

環境制御装置(ECS)のいろいろ 日野療護園 二宮 博之

 環境制御装置(ECS)といわれて、世間一般の方はどういうものかが頭の中にイメージできる方は、ほとんど皆無であろう。我々障害者の中でも、それほどまだ使っている人が少ないし、割合高価のことと十分でない自分だけの生活空間のためか、残念なことだが、まだ日本の障害者の世界(とりわけ施設生活者)では、十分に使える環境が整っていないのが現状だと言える。

 環境制御装置(ECS)は、我々全身性障害者にとり本当に利便性が高く、これから益々使う人が増えるであろう。自分の生活空間の中で、たとえば、テレビを付けたりチャンネルを変えたりすることは、いちいち人を呼んでやってもらう。ビデオやステレオにしたって同等のことが言える。つまり、環境制御装置(ECS)はリモコンで動く家電製品や、その他の製品だったら使用可能ということである。

 どちらにしても、自分の生活空間の大部分が少しは時間がかかるが、自分の意のままになる…これは画期的なことである。ただし自分の意のままに動く部位があることが最低条件となる。それはたとえ手足の指1本でも、声や息でも良く、話によると瞼の動きでも可能と聞いている。

 最近は、家庭にPCの目覚ましい進出と進歩が相まって、環境制御装置(ECS)も飛躍的に進歩し、音声認識環境制御装置なるものが登場してきている。それは、かなり言語障害が強い人でもPCに自分の声や言葉を何回かあらかじめ記憶させておくため、70チャンネル以上のことが出来るようである。これだけのことが出来るのだから、自分の部屋のたいていのことは出来るという訳である。勿論、これだけの出来るのだから、PCも入れてだいぶ金銭的にも掛かるようであるが、総てが自分の意のままに動く快感からすると、決して高くはないのかも知れない。その以前は学習リモコンを利用していたので、せいぜい20チャンネルが限度であった。

 そういう私も、未だ旧式の20チャンネルを使っている。家電製品が増えチャンネル数が不足してきたのでそろそろ新しいものをと考えているものの、在宅障害者だと生活用具の対象となり給付対象で補助金が出るのに、施設で生活している我々には一文も出ない。「施設で買って貰いなさい」と言うばかり、措置されているのだからそんなこと解っているが、施設も苦しいんだから、それを待っていたらいつになるか判らない状態といえる。

 愚痴をこぼしてもしょうがないから本題にもどるが、環境制御装置(ECS)を使うならやはり個室か、それに近い自分だけの生活空間がしっかり確保されていることが必要最小限の条件と私は考えている。

                          

ドクターFの自立生活ワンポイントアドバイス 第4回 「今」だから

 国際障害者年から早いもので19年経ちました。
 その間、自立生活運動などが発展し,介助料も増え、各地域に自立生活センターが設立されていきました。また、バリアフリーの運動によって、駅にもエレベーター、スロープ、車椅子でも使えるエスカレーター、トイレといった障害者向けの設備も多く見るようになりました。20年前と比べると、ずいぶん変わったように思います。
 これらの物は、私たちが障害者運動として長年厚生省や、都に対して要求してきた事です。では要求が聞き届けられたのでしょうか。私にはそのようには考えられません。厚生省や都は「療護施設は予算がかかるから造らない」と言っています。そこには地域や在宅に代行させることでその予算を削っていきたいという意図が見受けられます。
 また、街の環境の中でバリアフリーを謳っていることは、障害者に対してというよりも、高齢化社会になってきたというところでの社会的世論の追い風によるものではないかと考えています。すなわち、20年以上前に我々が障害者運動として要求していたことを全て逆手に取られてしまっているような気がして仕方がありません。
 また、ここ20年で変わったことは、国際障害者年を機にやたらと各団体が聞こえのいい言葉を使うようになったことです。私自身のことを言えば、施設内の処遇改善のため支援者として毎日都庁や文部省に行き、時には衛士や機動隊に追っかけられたこともありました。また、障害者の養護学校が義務化になったとき、障害者も普通学校に通うべきだと抗議した就学闘争の後半、文部省との間で交渉が煮詰まったときには、いらだちの末役人に小便爆弾を投げたこともありました。このようなことを思い出し考えたとき、たとえば「デモをする」という言葉が「パレードをする」という言葉に変わったことは私には信じられません。いつから抱え込み福祉になったのでしょうか。
 今年の4月から高齢者の介護保険が全国で導入されました。現場では様々な問題が生じていると聞いています。派遣会社から来るスタッフは、身辺介護だけをするものと家事援助を専門とするものとで2種類に分かれていて、身辺介護をするスタッフに窓ふきのような雑用を頼んでも拒否されたり、家事援助者は利用者の客に料理を振る舞うようなことはその仕事に含まれないそうです。例えば、お節作りはだめとのことです。何かものすごく施設よりも窮屈で、違和感を感じる物があります。
 厚生省の通達により町田市では今年の4月から、障害者個人で介助者を雇っている者は自立生活センターに自分の介助者を登録して、その介助料はセンターを通して各介助者の口座に給料として振り込まれることになりました。その通知を受けたのは3月の頭のことでしたが、私はその事に納得がいかず、町田市に対して抗議をしました。しかし町田市も「厚生省からの突然の話であり、こちら自身も対応に困っている」というばかりで、結局施行されることとなりました。
 3年後には障害者に対しても介護保険が導入される可能性があるそうです。その前に、来年の4月からまたヘルパー制度も変わるという話も聞いています。財政難の折、厚生省も都も金減らしに躍起になっています。また、私たち障害者側を見ても、この20年間私自身怠けてきたように思う今日この頃です。世紀末、世紀初頭だからという関係はないにしても、めまぐるしく変化する今日、私たちは1日1時間1分1秒の生活が追求されています。隙を彼らは狙っているのです。「今」だからこそ、私たちはもう一度しっかりした視点から判断し、行政と自らの生活を見つめていくことが必要とされています。それが、障害者の自立生活の原点だと考えるからです。

みなさ〜ん、いま、WDRCは「特定非営利活動法人」の縦覧期間中で〜す!!

      認証申請はしたものの…、法人格、法人格、法人格…ほう!人格にも綻びが… 高橋 隆

 まず、「特定非営利活動法人の認証申請をしたよ」ということをご報告させていただく。WDRCの役員連中が、所轄官庁との事前相談なしにいきなり申請し、のべ3回にわたって東京都庁詣でを積み重ねた末、6月13日にようやく申請書類の受理までこぎ着けた。玄関に入れていただいた、ということである。

 巷には「NPO基礎○座」だの「もっと知りたい○○」だのと、『特定非営利活動法人』認証申請やらマネジメントやらのマニュアル本が流布している。インターネットを開けば、『NPOの作り方教えます』のホームページが氾濫している。だから、WDRCが読者諸賢にノウハウを伝授する意義はもはやなかろう。ここで、私が申し上げたいのは、「法人格の認証とはなにごとだ?」という点である。

 いろいろある。あるが、第1に「おかしい」と思った点は、所轄官庁である「東京都生活文化局コミュニティ文化部振興計画課」が構える都庁第一本庁舎24階の、敷居の高さである。なにも「お役人さま」に土下座してから入らなければならない、ということではない。電動車いすが入ることができないのである。従来の「特定公益増進法人(社会福祉法人などのこと)」と違い、「NPO」というからには、当事者団体も多かろう。だから、申請には身体障害者も来るだろうし、視覚障害者も、聴覚障害者も押し寄せるかもしれない。しかし、そんなことに対する配慮が見られない。あいかわらず、フロアをパーテーションで細かく区切り、書類や机の山々が続く、あの雑然とした、異質な者を受け入れようとしないオフィス…。元作家の知事は、「東京都から日本を変える」といっている。それもいいが、国政レベルではすでにバリアフリー法やハートビル法が施行されており、まずは「東京都を国並みにする」ことから考えられないものか。

 第2に、申請書類を作っていて思ったのだが、たとえば、書類の中に『事業計画書』というものがあり、ここに「実施予定日時」と「実施予定場所」の記入欄がある。で、思ったのは、災害救助をする団体なんかには、どのように書かせるつもりなのかな、ということである。地震がおこる「予定」が書けりゃあ、苦労しないって。この点については東京都も矛盾を感じているようで、「時期や場所を特定せず、年○回程度、というように書いてください」といっていた。東京都の公務員は、やはり常識人であった。よかった。

 第1の点も第2の点も、自民党や社民党(法成立当時は自社さ連立政権だった)、経済企画庁は「特定非営利活動法人」を従来の社会福祉法人や学校法人のような「特定公益増進法人」と同じ窓からしか見ていなかった、ということを示している。そもそも、NPOとは、従来の社会福祉法人なんかがやってきたことと似たようなことをしつつも、同時に、「予算に拘束されない」、「定款に拘束されない」、「組織に拘束されない」という点を持ち、これらがNPOを他の組織と峻別する決定的な特徴だ。つまり、活動の目的が固定的でなく、常に変化する。そして、活動目的の変化に応じて組織も財源も自在に変えていく。

 何者からも自由である、というNPOの特徴は、NPOにとっては強みでもあり、欠点でもある。いずれにせよ、あの『事業計画書』を見るたびに、NPOを特定公益増進法人として扱い、行政裁量権を及ぼそうとしか思えない。特定非営利活動促進法は「準則主義」による「認証」というが、この「認証」がクセモノである。もし、本当に「準則主義」を貫くのなら、会社のように書類とハンコと発起人と資本金さえそろえば即登記、とすればいい。実際、東京都職員の話の中に、「特定非営利活動促進法」の立法趣旨から一歩踏みこんだと思われる「指導」があった(これについてはいずれ読者諸賢に報告するつもりである)。

 で、なにがいいたいのかというと、私としては、「特定非営利活動法人促進法」に基づく「特定非営利活動法人認証申請」は、個人的には「不本意」だということだ。「不本意だがやむを得ない」。われわれが勝手にやることについて、なんでお上のお墨付きをもらわなアカンのか、と、いきなり関西弁になってしまうのである。

 これもなにも、「法人格がないと一人前に扱われない」という昨今の風潮だ。補助金や委託申請、その他諸々。それどころか、NPO間でさえ「お宅、法人格持ってる?」などと訊ねあっている、この風潮。NPOの中には、「あまり認証基準を緩和すると、得体の知れないのが入ってくる…」といっているところすらある。「特定非営利活動促進法」に基づく認証申請と審査が、世のNPOの品質保持に役立つとでもいいたいのか?確かに、「ボランタリー活動の品質管理」は、それとして考えていかなければならない重要なテーマではある。しかし、法による参入規制への期待は、規制緩和が進むこのご時世にあって不道徳だ。「自由な発意による自由な活動と自由な結社」は、絶対に守らねばならない。にもかかわらず、「全体」の利益のために自由の空間が狭められていくことに、危機感を感じざるを得ない。

 と、いうことで、私(WDRCの他のメンバーはどう考えているか知らない)としては、断固「後ろ向き」に、「特定非営利活動法人」の認証申請手続きをした。

 東京都による法人設立認証は、早ければ9月末に出されるはずである。