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ウエルウェーヴ通信 第8号


2002年8月20日発行


目 次

ヒゲ親父 VS ドクターF

本当にあるのかな?大霊界


ヒゲ親父 VS ドクターF

2002年初夏、某療護施設より一人の男が自立をするため町田に引っ越してきた。

彼の名は二宮博之、年齢はあえて不詳。自称ヒゲ親父と名乗っているが、ヒゲ面は見た目ではあまり似合ってない。

また、最近、転倒して顔に傷を作ったが、なお一層元気そうだ。

今回は、この男と一緒に障害者の生活(自立)について互いの意見をマッチングさせながら対談といったかたちで進めていきたいと思う。

ドク) いや、こうゆうかたちで君と話をするなんて思ってもみなかったよ。

 自立生活研修期間から数ヶ月経ちましたね。研修の時は自立生活の先輩である私の言うことも少しは聞いてくれるかと思ったけど、全く聞き入れてくれなかったね。洗濯、掃除、食事作りなんて難しいものだし、すぐに嫌になってしまうものなんだ自分はそうだったよね。だから、最初の時に体験することで生活の大変さを伝えたかった。実際は介助者が手伝ってしまい勝ちになるが、一つの目的を達するのに介助者をどのように動かすか、そこが一番大変だよな。うまく指示できた?今は、出来るようになったかな。


ヒゲ) 研修期間中は色々と大変お世話をおかけしました、言うことを全く聞き入れなかったと言うけれど、俺としてはあれでも 最大限の努力はしていたつもりだったのだけどね。
確かに、あの期間中に施設生活に比べ自立生活の大変さの内の何パーセントかは理解できたような気がしました。
俺の致命的な欠陥のひとつは、何か物事をやる課程で唯我独尊に陥り先走りをし、自分だけがいらいらし、なかなか計画した物事がスムーズに運ばないことがあるので気をつけていかねばと思っている。

ドク) そういえば君一人の研修ではなかったよね他にも未経験介助者の研修、そして我々事業所もそうだった、三者で学んだ訳だね。
そして君も晴れて我々事業所の二番目の利用者さんとなったわけだ。個人登録ではね。えっ、一番は誰かって? 一番は私。研修、君はどうだった?

ヒゲ) 研修期間中、君のマンションの一室を提供してくださり、本当に感謝している。一番勉強になったことは、常に相手との人の輪を大事にしていないといけないという当たり前のことが、長年の施設生活で忘れかけていた者を思い出させてくれたいい機会になりました。


ドク)新居にはまだ訪ねてないけどバリバリに改造したらしいね。障害者の自立生活といえば場所が狭い、段差がある、設備が無いという所で生活をしていくのが、社会に対しての挑戦状だったのに、だんだんサバイバルでは無くなってきたね。良いのか悪いのか。どう思う?


ヒゲ) 俺がもしあと10年若かったら、君と同じように考えたかも知れませんが、この俺も今年で50歳を迎え、障害者としてはもう冒険する体力・余裕がないって言うのが正直な気持ちかな。

ドク)何をしたいために施設から出たのかと、聞かれたらなんて答えるんだい。自立生活、それとも特別に何か目的があって…。

彼女を見つけてどうこうっていう思いは分かるがナカナカ難しい。

 確かに施設にいれば可愛い女の子がボランティアに来てくれたことが記憶にあると思うけど、施設は団体でありボランティアとして行く彼女達は僕らを施設の中の一個人として見てくれることは少なかったと思うよ。しかし、施設から出て在宅で尚かつ一人暮らしとなると相手も見る目が違ってくるんだ。一つは一個人の男性として、そして一個人の障害者として付き合うことになるわけだ。そこで問題になってくるのは介助であり、介助者なんだよね。だって第三者がいるわけだからね。だから軽い気持ちで入っていけないんだ。それが我々重度障害者の自立生活なんだよな。これを実感するには十年はかかるかもしれないね。

どう思う?

  

ヒゲ)何を目的で施設から出てきたのかと問われると、そこが俺の最大の弱点かな。君が考えているような彼女を見つけるような目的意識があればいいけれどそれも今のところいらないって感じだし、ただ時間に縛られずのんびりしたかったっていうのが今の気持ちです。まだ生活基盤が確立できていないので1,2年後にゆっくり考えるよ。

ドク) 二次障害(脳性麻痺などの全身性で身体に硬直などが続いたとき他の筋や神経などを冒してしまうこと)の上、自分の身体を持て余してどうやって介助を指示していいのか分からないで困っていた君を見ていて、機械を使った介助の必要性は改めて分かったような気がした。しかし何かの緊急事態が起きたとき抱きかかえることが出来ない介助者では考え物だよね。福祉機器を使うのはそれが出来てからと考えるけど、どう思う? 

ヒゲ)それは僕も勿論だと思うよ。今の障害者の地域生活の現状を考えたときあくまでも必要最小限のことが出来る介助者で、福祉機器はそれが出来た上で補完的に使うものだと思う。

ドク)よく福祉のモデル都市として町田は有名だけど住んでいる本人この私なんかには、そういったものは実感としてないんだけど、他の区市町村に行けば実感するんだろうか。

どう、町田は気に入ったかい、気に入ったところはどこ。

ヒゲ)この質問も、まだまだ体力や自分の心にゆとりがない俺にはまだ早すぎると思うが、ただこれだけは言えるね、他の区市町村と比べ町田の行政や一般的雰囲気が障害者それ自体を受け入れやすい雰囲気が出来ていると思うよ。

ドク)君はまだ町田に日が浅いと思うから、この際思いっきり自分の理想・わがままな未来図を語ってみて。

ヒゲ)俺はこれまで50年の人生が障害者としては割合紆余曲折があり、変化があったと思うから、過去を反省しつつこれからのことを考えながら少し静かな時間を送りたいなぁと考えている。

  

ドク)町田に引っ越してきたヒゲ親父さんを皆さん宜しくお願いします。

  では最後に、ヒゲ親父さん御挨拶お願いします。

ヒゲ)みなさん、まだ町田に引っ越してきて日が浅いヒゲ親父こと二宮博之と申します。

  これからは上記でも書いたように1,2年はじっくり余生的な時間を送りたいと思っているのでどうかよろしく!

本当にあるのかな?! 大霊界

                  大石忠相

 先回の第7号で、僕は4回死にかけたことがあると書きましたが、その3つ目の高校時代の臨死体験について今回は克明に書いてみたいと思います。

 その朝僕は何故か熱っぽく、母に熱を測ってもらうと体温計が吹っ飛ぶほどの高熱を出していた。身体を触った母が「ものすごく熱いよ!」と、すぐさま町の医者に往診を依頼した。医者が来て、解熱剤の注射を打たれた僕はそのうちスーッと意識を失い、その時いわゆる大霊界そのものを体験したのです。

 まず真っ黒な空間に一条の光が射し、好奇心旺盛な僕はその光に進み、光に吸い込まれていった。眩いばかりの光だった。それから僕の身体は宙に浮いて、うつぶせの状態で大きな河原(いわゆる賽の河原)を越えていった。そこでは子供が1人、1つ石を積んでは「父のため」また1つ石を積んでは「母のため」と、数え歌を歌っていた。いくつか積むとその石は崩れ落ち、また積みなおしていた。上を見上げると目の前の空間が上下に分かれ、上は天国、下には地獄の絵図が広がっていた。

 僕が心の中で「これは何なんだ?!」とつぶやくと天女の声が聞こえてきた。「下は地獄、上は魂の抜けた抜け殻たちの世界です。」天国の世界では人々が宙に浮き、白装束をまとっていた。「病気や事故で亡くなった人はそのときのままの姿(抜け殻)でいます。しかし卑怯な死に方をした人は赤ん坊の姿になっています。この人々の魂はいずれ輪廻転生できるのです。」一方地獄の世界では皆さんの知ってのとおり、血の池、灼熱地獄の中で人々は強制労働させられていた。「ここでは輪廻転生はありません。魂は逃げ出すことは出来ません。」

 また場面が変わり、世にも不思議なお花畑が広がっていた。この世で見ることの出来ない超極彩色の花々が咲いていた。それも越え神々しい光の世界が広がり、よく目を凝らしてみるとバベルの塔のようならせん状で上に伸びた黒っぽい塔が1つあった。その塔は雲海を突き抜け遥か彼方にそびえ立つようだった。近づいてみるとその塔の外壁には世界の神々の顔が浮き彫りにされていた。そして頂には光り輝く大きな大きな金色の球が載っていた。そこで天女の声が聞こえてきた。「あなたと同じ経験をした人がまだ大勢います。あなたはその人達と協力して、現世に戻ったらここで見たことを話して広めてください。死は怖いものではありません。」

 そこで目が覚め、気づくと僕の枕元に座っていた母が「生きていたのねぇ うなされていたのよ。」と言い、ほっとした顔をのぞかせた。それからおよそ半年ほど経ってから、TVで丹波哲郎作『大霊界』という映画を放映していた。観てみると、何と僕の経験そのものだった。

やっぱ、本当にあるのかな?